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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

ひとが突然死ぬと言う事は、想像以上に悲しい事である。

この時期になると思いだす、3年前の冬。
 
その電話が無ければ何事もなく12月最初の日曜日が終わるはずだった。
夕方、ベッドに置いていた携帯がブーン、ブーンと鳴った。画面に表示されていたのは「父」の一文字。
実家からの連絡はだいたい母から来るので、珍しいこともあるもんだなあと思いながら電話に出た。
 
まさかと思った、従兄の訃報だった。
 
30代の働き盛り、これと言った大病もなく、しかもまだ3歳半(当時)の息子と奥さんを残して、突然。
 
葬式は家族と従兄のごく親しいお友達のみだったが、あの場にいた全員彼の死を受け入れられずに泣いた。
まさか、20代になって初めて従兄の顔を見るのが死に顔だなんてまったく思ってもいなかった。
従兄のお友達が死に顔を見てポツンと呟いた「お前、何やっとんねん・・・」の声がどうにも忘れられない。
 
葬式中ずっと、あの棺の中の従兄は蝋人形であって、そのうち「ドッキリでした!」と従兄が突然出てくる、
と信じていた。いくら従兄がそんなキャラではないとはいえ、こうでもしないと平静が保てなかった。
 

思ってもないひとの訃報って、想像以上に心に穴が開く。

ひとが死ぬのって、やっぱりとても悲しい。
そして、それが突然であればあるほど、思った以上の悲しみが押し寄せてくる。
その悲しみが少し収まったと思ったら、今度は生前の最後の姿、行動、言葉がありありと蘇ってくる。
何気なかったあの一コマが、永遠の思い出に変化する瞬間だ。
 
あの時ああすればよかった。もうあれができなくなった。あの姿がまさか最後になるなんて。
色々と思い返せば思い返すほど、亡くなったこと、生前の行動に対する後悔がどんどん押し寄せてくる。
 
そして、存在の大きさに気付かされることになる。
 
最近だと、桜塚やっくんの訃報。
テレビっ子全盛期だった中学高校時代、土曜の夜10時と言えば「エンタの神様」しか考えられなかった。
「死亡した桜塚やっくん」と言うキャプションで表示されるやっくんの顔写真を眺めてると、
 
がっかりだよ!
 
の台詞と同時に「エンタの神様」のロゴをバックに竹刀を床にたたきつけるやっくんの姿を思い出した。
そしてものすごい悲しくなった。
 
それまでやっくんのことなんて懐かしいなあと思う程度だったけど、涙目になるくらい悲しくなった。
ああ、あれ見られないんだ、とか思うと、まさに「がっかりだよ!」という気分になった。
 
従兄も同様。会う機会も親族の結婚式とかお正月に集まる時ぐらいのもんだったけど、
「最近どうなん?水曜どうでしょう見てんの?*1
と他愛もない話をする。そんな従兄はダウンタウンが好きで、テレビ一緒に観てると物凄く豪快に笑う。
この瞬間がさりげなく好きだったんだって気づいたのは、全部従兄が亡くなった後。
 
存在の大きさに気づくのは、だいたいいなくなってから。なんと世の中は皮肉なんだろうか。
 

今の状態が当たり前なんじゃなくて、奇跡だと言う事。

いま、こうしていろんなひとと出会い、楽しい時間を過ごしている。
 
その中にはもちろん、最近会えてないなーって人だっている。
だけど、そんな人がもし亡くなっちゃったら、ぼくはものすごい悲しみに包まれるんだろう、と思う。
それも、今想像している以上の悲しみが。
 
ほんとは、今こうしてみんな元気に頑張ってるのも、当たり前なんかじゃないんだよね。
奇跡なんだよね。こうしてブログ書けるのも、いろんなブログ読めるのも、おっきなおっきな奇跡なんだよね。
 
ひとが突然亡くなると、言葉にできないくらい悲しい。

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あしたからも、1日1日大切に生きていこう。

*1:そう、従兄もぼくと同じく水曜どうでしょうが好きな人間だった

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