SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

1周忌なので祖母との思い出を振り返ってみた。

ちょうど1年前の夜、祖母が亡くなった。90歳になって2週間と少しが経った頃だった。
 
あの日、ぼくは4泊5日の東京旅行から帰ってきた直後で、疲れたしそろそろ寝るかと思ったころに訃報が来た。
正直な話は「あっ、そうなんだ」と悲しみに暮れることはなかったし、泣くこともほとんどなかった。
もう2年以上入院していたのもあって、心のどこかで遅かれ早かれこうなることを覚悟していたのかもしれない。
 
東京で生まれ、生後数か月で関東大震災を経験し(たはず)、激動の昭和平成を生き抜いて。
20数年しか生きた時代は重なってないし、まして同居した事もないのだが、思い返すと結構いろいろ出てくる。
 

人生で初めてぼくをさん付けで呼ぶ人は、祖母だった。

よくよく考えてみると、ぼく以外のいとこはみんなちゃんかくん付けだった。
なんで自分の事だけをさん付けで呼んでいたのか、今となっては全くよくわかっていない。
 
祖母は、いつも、玄関入ってすぐ横の和室でテレビ観たり、色々やっていた。
うっすら聞いたことがあるのだが、その場所は約40年前*1、祖父が亡くなった部屋だった*2
仏壇があり、祖父の遺影も飾られているあの部屋は、常に夫がいる安心感があったのかもしれない。
 
子どもの頃のぼくは、祖母の家に来ると、いとこがいないとその祖母がいる和室にずっと浸っていた。
あーでもないこーでもない話をし、いらない紙をもらってはなんか文章書いたりもしてた。
年を取るにつれ背中が丸くなり、椅子でないと座れなくなっても、祖母とともによく和室で過ごしていた。
 
あと、祖母は、寝る時*3必ずNHK-FMラジオ深夜便を流しっぱなしにして寝ていた。
今ぼくが夜寝る時Podcastを流しっぱなしで寝るようになったのも、そこにルーツがあるのかもしれない。
 

祖母はよくお小遣いをくれた。

お年玉や誕生日祝いはもちろん、寒中見舞いだ、何かで賞取ったからお祝いだ、と何かと理由がついていた。
お金が入ったポチ袋の裏面には必ず「¥3000-」とか、入っている金額がしたためられていた。
あまり人に物やお金をもらうことに慣れていないぼく*4は、こんなの貰えないよ、とよく返そうとしていた。
 
で、そのもらったお金は・・・えーと、何に使ったんだっけな。
 
当時、お小遣いなんてものは家でもらってなかったので、この祖母がくれるお金が唯一の財源だった。
だけど物欲もないし遊ぶのも公園か友達の家だったぼくは、ほとんど貯金に回してた、気、がする。
 
祖母はぼくに対してとても優しい祖母だった。怒られたこともほとんどないように記憶する。
だが、実子であるうちの父親や伯父に対しては厳しかったらしい。そんな祖母を、ぼくは想像できない。
 

祖母が入院したのは、亡くなる2年ほど前だった。

実は「たいへん!おばあちゃんが入院した!」と言う知らせを、ぼくは一切受けていない。
従兄が亡くなった後の四十九日の時、葬式で従兄に語り掛けていた祖母が参列していないのを不審に思った。
 
あれおばあちゃんは?と聞いたら「ああ、入院しはってん」と、さらっと衝撃的な事実を言われた。
 
えーっ、と思った。
 
聞けば、まあ、生死にかかわる切羽詰まった状況ではないということを言われ、少しほっとした。
それからは2年間入院生活だった訳だが、ついにお見舞いに行くことはできなかった。
いま思えば、無理繰りにでも見舞いに行くべきだったのかな、と思う。
 
なので、祖母の最後の姿っていつ見たんだっけ?と思い返すと、実はよくわかんなかったりする。
入院する年のお正月はおばあちゃんいたんだっけなあ。
今思えば、祖母が亡くなったことで一番強く後悔しているのはこのことかもしれない。
 

あの日、お通夜が終わった後。

数年ぶりに対面する祖母の死に顔をぼーっと見ていた。このお顔見るの最後かなあ、と思いながら*5
祖母の棺、お顔のすぐ横には、折り紙で丁寧に折られた小さいお雛様がすまし顔で納められていた。
「命日が雛祭りやったしね」という伯父の粋な計らいだったのだが、ぼくはその光景が今でも忘れられない。
一緒に眺めていた母親は、「雛祭りが命日だなんて、お義母さんらしいやん」と言っていた。
 
確かに、短歌や俳画などの趣味を持ち、日本の四季を愛していた祖母らしい命日ではある、と思う。

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昨夜通った京都駅の大階段で撮った雛祭りのイルミネーション。

これから先、雛飾りが目に入る度に、祖母を思い出すんだろうなあ。

*1:当然のことながらぼくは産まれていない。ちなみに祖父は孫の顔を誰ひとり見ることなく亡くなっている

*2:祖母宅は一度建て替わっているのだが、旧宅と同じ場所に和室を設計したらしい

*3:和室の隣に祖母専用の寝室があった

*4:なので毎年お正月にもらうお年玉は、嬉しいんだけどなんか申し訳ない気分が抜けないままもらう年齢を終えた

*5:実は翌日大学の卒業発表で告別式に参列できなかった。結局中抜けして新幹線で式場着いたら出棺の瞬間だった

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