SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

まちを離れるということ。―岐阜を離れ、実家に戻ることにしました

突然だが、この6月末をもって、現在の岐阜の住まいを引き払い、実家のある京都に移り住む決断をした。

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この街に居ついてはや5年と2か月。
今の生活に満足しているし、徒歩圏内に様々な店舗が出来て住環境も格段に向上しつつある。
そして、べつにこの街が嫌になった訳でもないし、別に今このタイミングで岐阜を離れる必要もない。
 
けど、実家に戻ることにした。これは、実は1年以上前からずっと温め続けていたプランだった。
 
理由としては、書き出すといっくらでも出てくる。
 
いちばんは、今籍を置いている大学のこと。
レポート学習ぐらいなので別に離れててもできるのだが、GWに試験を受けたついでに大学を見学して気が変わった。
レポートを書くにあたっての資料がやっぱり充実しているし、教科書も思い立ったらすぐ買える。
正直忙しさにかまけてレポート学習が全然できていない身からすると、これならやっと集中できる、と思った。
 
あとは、家族のことだったり、自分のことだったり、くだらないことだったり。ほんとにいろいろある。
 
夕飯買いに来たスーパーで30分くらいウロウロできる程度に優柔不断なぼくにとって、正直かなり悩んだ。
ここを引き払うことによって、いろんな人に多大な迷惑をかけることも考えると、何度も躊躇した。
だけど、岐阜に定住するつもりがなかったので、いつかはこの時が来ることになる。
そのことを考えると、もういましかない、と思ってこの決断に至ったのだった。
 

日常を、自分の手で非日常にするということ。

「まちを離れる」経験は、この街にやってくる前に1度経験している。
だけどその時は実家は動いていないので、そんなに「まちを離れる」ということを考えていなかった。
実際、この街で暮らし始めてからしばらくは、週末ごとに京都に帰る生活だったし。
 
しかし今回は、住んでいる場所さえも手放してまちを離れることになる。
 
この事実が、いま、ぼくの肩の上にどーん、とのしかかっている。
 
日用品を買うときに、「ああ、これ買うのもこれが最後なのかな」とか、
明朝出すごみの袋の口を縛りながら「ああ、こうやってごみ出すのもあと3,4回かなあ」とか、
外出して帰宅するのに玄関の戸の鍵を開けながら「ああ、こうやって鍵開けるのもあと何回なのかなあ」とか、
 
この街でこういうことをするのもあと数回、と言う認識が、どんな物事でもついてまわる。
毎週の楽しみのあの番組も観れるのは、ご飯を炊くのは、洗濯するのは、こっち方面の電車に乗るのは・・・。
 
ひょっとしたらもうここの店使わないんだろうなあ、って思ったこともある。
 
ああ、まちを離れるって、こういうことなんだ、と思った。

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それと、部屋で何もせずごろごろする時間も苦痛に感じるようになった。これがいちばん不思議だった。
なんせこの部屋で過ごせるのもあとわずかだし、ベッドも半分壊れているので処分するつもりでいる。
つまりこんな時間今後一生ないというのに、本当に苦痛なのだ。ああ、誰かと会っておきたいな、と思ってしまう。
 
何も予定がないと家から一歩も出ないぼくが、こんなことを思うなんて。
 
こうして、いまぼくは日常と非日常の境目をひと月彷徨う旅に出た。さて、どんな旅になるんだろうか。
そして来月の今頃、ぼくは旅を終えちゃんと引っ越しが完了できているのだろうか。いまいちばんそこが心配。

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