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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

ちょうど20年前、あの大きな揺れとともに自分の「記憶」が動き出した。

thought

ときどき、飲み会などで自分の古い記憶の話になったりする。そのときぼくは必ずこのエピソードを話すようにしている。

当時4歳だった。今この文章を書いている部屋の隣にある両親の寝室で、家族3人大きなベッドで川の字で寝ていた。ぼくは左の端っこが定位置で、そのすぐ横には今のぼくの身長と同じくらいの高さがある電気スタンドが置いてあった。

その瞬間はいきなり訪れた。もちろん経験したことのない大きな揺れ。真っ先に目に飛び込んできたのは、煌々と光りながらすごい勢いでぐらぐらする右横の電気スタンドだった。振り向くと横で寝ていた両親が飛び起きて、いったいなにが起きているのかと唖然としていた。これが、ぼくにとっての「一番古い記憶」である。

その瞬間の日時はソラでも言える。1995年1月17日、朝の5時46分。この瞬間、何が起こったのかは言うまでもない。

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寝室には古いブラウン管のテレビがあって、居間のテレビが占領されているときによく父がこのテレビで阪神の試合を観ていた。夜が明けてそのブラウン管が真っ先に映し出したのは、神戸の市街地で見るも無残に高架道路が崩壊していた映像だった。

そのときはじめて、幼いながらに「これはとんでもないことが起こった」と気が付いた。

実はそれ以降はあまり記憶がない。調べてみると1995年1月17日は火曜日なので共働きだった両親は仕事があったはずなのだが、その日ちゃんと出勤したのか、そして幼いころから保育園に預けられていたぼくはその日登園したのか、何よりライフラインは寸断されなかったのか。まったく覚えていない。

ただ、大きく揺れる電気スタンドとすぐ横で飛び起きた両親、朝になって古いテレビに映し出される高架道路が崩壊した映像、この3点は本当に鮮明に覚えている。ちなみに京都は震度5*1だったが、家に被害はなく両親や当時一緒に住んでいた祖父母にもケガはなかった。

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特に被害が甚大だった長田区・鷹取地区のとある公園にて。

・・・毎年1月17日にはブログやFacebookに、阪神淡路大震災への思いをできるだけ書き残そう、と心がけている。で、今、過去に書いた内容を読み返していたけど、毎年毎年どこかしらに「ぼくの記憶が始まった瞬間です」と記していた*2。ご多分に漏れず今年も同じ内容を書いているので、ひょっとしたら飽きられているかもしれない。

だけど、今年の1月17日は、いつもと違う面持ちでいる。

なぜなら、自分の記憶が刻まれ始めて、ちょうど20年だから。

成人式なんてとっくに終わってるけど、自分の中ではようやく成人したような、そんな感覚がある。今日2015年1月17日はぼくのなかでひとつの「節目」であることはまちがいない。もちろん、あの大きな揺れとともに自分の記憶が動き出したという事実も死ぬまで忘れることはないし、あの日あったことを胸に1日1日大切に過ごしていかなきゃ、と強く思う。

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昨年のエントリにも使った画像ですが再掲。同じく鷹取地区の公園にて。

実はこれを書いている時点で時刻は5時半。あと15分もすればその瞬間がやって来る。いまNHKにチャンネルを回したら、三宮の東遊園地から中継をつないでいた。せっかくなので、予約投稿を用いてこのエントリも黙祷の後、公開したい。

あの日からまる20年の朝に、黙祷。

*1:震度5と震度6に強弱がつくようになったのは阪神大震災以後のことである

*2:昨年1月17日に書いたエントリでも、見事に結びの文句として触れている

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