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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

就活生のみんなへ、人と比べるのをやめて自分を受け入れてあげて。

thought

トピック「就活生」

ありがたいことに、ここ最近だいぶ前に書いた記事のアクセスが伸びている。

上記のエントリの通り、ぼくは就職活動をしなかった。この記事を書いて1年以上たつが、未だにどこかの会社で働くようなことはせず、高校の教職課程を取りつつも細々とNPOのスタッフとして生活している。未だに就活しなかったことに対して後悔はないし、この道だからこそ得られたものもたくさんある。

とはいえ、世間のマジョリティはやっぱりどこかの会社に就職し、来年の4月からバリバリ働いていくスタイルなのは間違いない。この記事から1年ほど経った今、就活はしなかった立場だけど、改めて就活生にエールを送るべく、個人的に大切にしてほしいことを書き留めておこうと思う。
 

「自分を受け入れる」ということを、大切に。

当たり前の話だが、人間はロボットではない。すなわち人間の心は機械でできている訳ではない。

つまり、本来ならば自分自身は「他人と違って良い」のだ。ところが人という生き物は何かにつけて「みんなと一緒」じゃないと不安を抱える。その結果、どうしてもいろいろと他人と比較して、自分はあいつより弱い、何もできない、内定ももらえない・・・とどんどん悪循環にハマってしまう。

自分自身は他人と違って良い、だからあいつより弱くたって何の問題もない。こう思える人が少ないのが、実状である。

これは決して就活生だけの問題じゃなくて、広く一般社会に言えることでもある。自分が弱いのを認めたくない、だから人を見下すことで自分が弱いことを隠す。多分そういうことで凶行に及んだんだろうなあ、という事件もある。この場合も、自分は弱い人間であることを自分自身で認めていれば、悲劇は防げただろうに、と思う。

自分はまだどこにも内定貰ってないけど、アイツはすでに5社内定をもらっている・・・と落ち込むのならば、人と比較しなければいいのだ。アイツはアイツ、自分は自分。そもそも、「自分は弱い」という感覚も、誰かと比較して勝手に優劣をつけない限り生まれない感情である。

だいたい、あの人がどこかの優良企業に内定をもらったって、自分とどこに関係があるのだろう。その企業で働くのは「あの人」であり「自分」ではない。そんなことを思うのなら、今自分ができることに全力で集中すれば、いずれそんなことはどうでもよくなってくるに違いない。
 

自己受容するということも、とても難しいことだけど。

自分で自分を認める、専門的にいえば「自己受容」ができることは、就職活動のみならず様々な世界や社会で大きな強みになるし、生きやすくなってくる。しかし、「自分は弱い人間である」と認めることは本当に難しいこと。それでも、良い自分も悪い自分も認めない限り、自己受容なんて不可能だ。

そして、この自己受容ができると、本当に就活どころか人生を見る目が一気に違ってくるのは確かだ。あの人はあの人でいい、自分は自分でいい。意見も就職先もやり方もぜーんぶ違って当たり前なんだ。こう思えることが、どれだけ自分を楽にさせてくれるか。

もちろん、人がやってることを「それ面白そう!」と真似るのも良いかもしれないが、誰かと比べたがる、劣等感を覚える、ことが多い人は、きっぱりと比べるのを止めよう。10年ほど前の今頃にSMAPやマッキーが「どうしてこうも比べたがる?」と歌っていたように、自分は自分でいいのだ。良いも悪いも自分なのだ。

・・・実は先日、ほとんど同じ内容を自分が所属しているNPOのブログでも書いたのだが、はてなさんが就活トピックを立ち上げてたので、こちらでも書いてみた。NPOのブログでは目標設定のやり方も書いたけど、気持ちの面を書いてるうちにえらい分量になったので、ここで止めておこう。

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あと、就活がすべてではないことも覚えていてほしい。何も就活しないと働けないわけではない。山手線で通勤する、工場で働く、笑顔で接客する、縁の下で支える、その人にはその人なりに見合った働き方がある。もちろん、自分自身にも。

どうしても就活に行き詰った、このままやってても幸せな人生を歩めない、と思ったら、ひょいっと就活という名の電車を降りることも大切だと思う。それでもう一度就活したいと思ったら、再びその電車に乗ればいいんだから。

良いも悪いもすべて認められるようになって、みなさんが誰にも邪魔されず希望の進路に進めますように。

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