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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

『お金をたくさんもらうこと』への抵抗感

25歳になってもうすぐ2ヶ月経つが、いまだにお金をもらう(稼ぐ)ことに対して違和感を拭いきれない。

僕は一番年が近い親戚と言うのが父方の6つくらい上のいとこで、母方となるといとこよりいとこの子どものほうが年が近かったりする*1。つまり長らく親戚で一番年下という時期があったので、親戚での集まりは好きだったけどお正月にもらうお年玉と言うのがこの上なく気乗りしなかった。

他のいとこがお年玉をもらう年齢じゃなくなると、大勢いる親戚の中でお年玉をもらうのが僕ひとりになる。そのうちに社会人数年目とかのいとこがお年玉をくれるようになる。で、ポチ袋の中身をそっと覗くと夏目漱石野口英世が何人かいる。ちょっと裕福な親戚からだと福沢諭吉が入ってることもあった。

嬉しかったけど、これがたまらなく辛かった。

なんで働いていないし何もしていないのにこんなにたくさんのお金を貰えるんだろう。だいたい、こんな高額なお金、僕にくれるくらいならちょっといいレストランでご飯食べるとか高級なお肉買うとか、もっと自分に対して贅沢して使ったらいいのに。

確かに、お年玉のお金でいろんなものを買ったのは事実だ。けど、思春期だった中学生、高校生のときにもらうお年玉は、「ありがとう」と言いながらなんだか物凄い罪悪感に苛まれたのもまた、事実だった。20歳を過ぎてお年玉から晴れて卒業した瞬間から、初めて「お正月」と言う行事を心から楽しめるようになった。

そういえば子どものころは、祖母の家に遊びに行くと、何かにつけてポチ袋にお金を入れて渡してくれた。誕生日祝い、お年玉、何かの表彰を受けたご褒美、ならまだしも、「暑中お見舞い申し上げます」とか書かれたポチ袋を渡されたときはビックリした。ポチ袋の裏を見るとご丁寧に金額が書いてある。

それが嫌だったとは言わないけど、僕は既にこの頃から人に何か物やお金をもらうことに対してまったく慣れていなかった。実際このあたりのお金は結局何に使ったのはまったく覚えていない。でも、「いらない」とよく返そうとしていたので、お金をもらうことにためらいがあったのは事実だった。

その「ためらい」が抜けきれないまま僕は大人になった。で、「働く」にしてもお金のことは2の次3の次と思うようになり、かと言って誰かとごはんに出かけて「お代はいいよ」などと言われると、非常に申し訳ない気分になるようになった。

もちろん、働くことで給料やお金を得られるのは至極まっとうなことであり、それは理解するのだが、今度はそれで「こんなにもらっていいのかな・・・」と言う気持ちになることがある。それで、自分のやりたいことや誰かのためになることを重視した職業選択をするようになって、今のNPOスタッフと教職課程の並行に至る。

実は、教職課程の手続きに失敗し、教育実習時期が伸びることになってしまった。これは紛れもなく自分が悪いのだが、自分のライフプランが音を立てて崩れている。そこでふと、実習が延期になる中でお金をもらうことに慣れなきゃいけないのかな、と思った。

今も旅行とか野球観戦とか、お金がかかる趣味がない訳ではないし、下手すれば後輩よりも稼いでいないと思うがそれなりにやりくりはしている。だけど将来を考えると「お金をもらうこと」に対して免疫を持つ必要はあるし、いかにして「やりたいこと」でお金をもらうことへの免疫をつけるか、が難しい。

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どーんとした暗い気持ちを抱えたまま週末が終わっていく。

*1:何せ従姉は叔母にあたるうちの母を「おねえちゃん」と呼んでいる

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