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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

なぜ「奇抜な服装で暴れ回る」新成人が後を絶たないのか

この3連休、普通に1日中会議してたり仕事をしている時間の方が多いのだが、そういえば世間は成人式らしい。

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自分のときから5年経っちゃったんだなあ、とか思う。あのときは、保育園からの同級生が水色と白の袴を着ていたので「お前、新撰組みたいやな」と声かけたら「なんでやねん!」とツッコまれたり、久々に会う同級生になんか照れちゃって同窓会の様子の写真ばっかり撮ってた*1記憶しかない。

ただまあ、自分は中学ほとんど学校行ってなかったのに、幹事が「お前同窓会来るよな?」と積極的に誘ってくれたり、行ったら行ったで普通に会話に加えてくれたことは今でも感謝している。とてもいい思い出だ。

で、成人式やパーティー、その後の同窓会は、自分のときは本当につつがなく終わった。たまたまその日高校サッカーの決勝があって、隣町の高校が決勝に残ってたので「今負けてます!」って速報で大騒ぎになるくらいで、進行を妨げるような輩はいなかった。派手な服着た同級生はいたけど。

それがいまや、ちょっと変な服装で騒いだだけですぐTwitterに晒されるようになったから時代の進歩は凄まじい。とはいえ昔からそういう人たちは一定数いたし、子どもの頃高知かどっかの成人式で市長に野次飛ばして「出ていけコラ!」と市長がキレた瞬間のニュース映像を見て戦慄したこともある。

でもなんで彼らはこうして成人式で騒ぐのか。変な服装で成人式に現れるのだろうか。
 

A.「人と違うこと」をして目を引きたいから

昔はこんなこと気にも留めなかったが、そういうところにも関係のある仕事をし続けて見えてきたものもある。

彼らは「目立ちたい」のだ。

単純にこの5文字で表すことができる。スーツできちっと決めた新成人の中に、ド派手な袴で乗り込んだらそりゃあ目立つに決まっている。厳粛な式で大騒ぎすればそりゃあ目立つに決まっている。彼らはこれが快感なのだ。誰よりも目立って自分を周囲にアピールしたいのだ。

これはいわゆる「承認欲求」という説明もできて、別になにひとつ変わったことではない。極論を言えば、今僕がこうしてだらだらと長文をブログで発表しているのも一種の承認欲求と言えるし、例えばFacebookのいいね!を欲する、と言う行為も自分の気持ちを分かってほしい「承認欲求」と言える。

ではここでもうひとつの疑問。彼らは何故「目立ちたい」のだろう?
 

A.「構ってもらえない」のが怖いから

もちろん、様々な要因を加味する必要があるが、一番はこういうところなんだろうと思う。

彼らは、極端に「人に相手にされない」ことを心のどこかで怖れている。黒髪で、普通の黒いスーツに、どこにでも売ってそうな赤のストライプのネクタイで出席したら、誰にも気が付いてもらえないかもしれない。そういうことを考えているのではないか。

そこで、例えばネクタイの色をちょっと変わった色にする、とかアクセントをつけることもできるかもしれないが、それでも相手にされないんじゃないかという不安が消えないと、徐々に髪の色を金髪にしよう、スーツじゃない服装で行こう、などと次々変化をつけようとする。そうして構ってほしいのだ。

今年、北九州の成人式では事前に「きちんとした服装で来てください」などと良い例悪い例を新成人に呼びかけたらしいが、結局その忠告を聞かない新成人もいたと聞く。そりゃそうだろう、彼らにとっては袴や花魁が「きちんとした服装」なのだから、いくら悪い例でもその服装じゃないと「不安」なのだ。

どんな些細なことでもいい、とにかく誰にも構ってもらえないのが嫌だという恐怖心が、派手な方向へと彼らを導いていく。これは、また一言では言い表せない要因があるが、周囲(家族)に認められる機会が少なかったり、承認欲求が満たされずに今まで生きてきた、という要因がひとつ考えられる。
 

なぜ成人式中に誰かの挨拶を妨害するのか

今日、水戸の成人式で、実行委員長の新成人が挨拶しているときに酒に酔った新成人がステージに乱入して、「なんでお前(実行委員長)が喋ってんだよ」と大騒ぎになったらしい。

特攻服を着た彼らのこの「人を見下す」振る舞いは、周囲よりも自分が偉い、だから挨拶すべきはオレたちだ、というメッセージが何となく伝わってくるが、ではなぜ彼らは人を見下さなければならなかったのか。酒の力を借りている可能性はあるが、ここではいったんその可能性は置いておく。

そもそも人を見下すという行動自体、「誰かの上に立つ」ことで優越感を覚えることが背景にある。他人が何かに失敗したときに「お前、そんなこともできないのかよ」と見下せば、「自分はこれができるから、こいつよりは劣ってない」という考えに繋がる。でもこの考えは「自信がついた」訳ではない。

つまり単純に彼らは「自分に自信がない」ことをこういう形で発散せざるを得なかったんだろうと思う。

式典をめちゃめちゃにして「人と違うことを成し遂げた」と言う達成感を得ることでそれを自信につなげたかったのだろう。でもそれによって大きな迷惑を被る人だっている。だからこそ批判の対象となる訳だが、かといって毎年批判ばかりしててもこういう新成人は毎年毎年出てくるだけだと思う。

これが難しい。彼らのような「自信のない」若者をなくすにはどうすればいいのか。もちろん自分自身の考え方の問題にもなるが、それにとどまらずにひとりひとりの人へのかかわり方を考えなきゃいけないのかなー、と思う。
 

最後に

こういうことを書くと、お前は成人式で騒ぐ新成人を肯定するのか、などと言う人がいる。以前、会見で号泣した野々村議員のことをあまりにもバカにしすぎじゃないかと指摘したら、「お前は野々村議員を擁護するつもりか」などと言われたことがある。「擁護します」と一言も書いてないのに。

断っておくが、僕はこうして大騒ぎして進行を妨害する新成人を肯定するつもりはない。服装はまあ、よっぽど人に迷惑かかってなきゃなんでもいいんじゃない?と思うけど。

でも、来年度以降、成人式を妨害されたくないのなら、彼らが何故こういう行為に及ぶのか、いくら「年取ったら後悔するよ」と言われても、あんな奇抜な服装で成人式に参加するのか、そういうところを知っておけば穏便な解決策が見えてくるんじゃないのかなあ、とは思うのだ。

今年新成人を迎えたすべてのみなさん、おめでとうございます!

*1:なぜか全体の集合写真まで僕が撮ることになった。幹事でもなかったのに

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