SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

少しだけ祖母の自慢をさせてください

祖母が亡くなった。

実はもう正月明けてすぐに緊急入院して「腸に穴があいたらあとは数時間です」という状況まで追い込まれたのだけど、祖母の「生きたい」という希望の表れかそこは持ち直した。ところが結局2月の時点で「おそらく3月は持たない」と言う話だったので、その後何週間かは毎日ある程度の覚悟をもって仕事していた。

結局最終的には老衰と言う形で、本当にすーっと力が抜けるように息を引き取ったらしい。正直、悲しいという気持ちはそんなになくて、むしろ余裕をもってお別れできたというか、88年間お疲れ様ありがとう、みたいな感じで、誰も大泣きせず温かい雰囲気でお葬式が粛々と進んだのだった。

祖母が亡くなったのはこの間の3連休の初日の夕方。で、ある程度はバタバタしたのだが、家族葬で翌々日の昼にはもう火葬を済ませる段取りで進められた。つまり3連休の間にすべてが終わる算段だったのだが、このおかげで遠方の従兄一家はじめ無理なく親族が集まることができたのは、ある意味奇跡だった。
 

ここから祖母の自慢です

大学で家を出るまで17年と半年一緒に住んでいた上に両親共働きだったこともあって、祖母にはいろいろとお世話になった。

例えば僕は日常生活でたまに「字がきれいですよね」とよく言われる。これは何かって言えばまぎれもなくうちの祖母のおかげである。

この表彰状(ちなみに何かのテンプレートを丸写ししたもので架空)は祖母の棺に入れたものなのだが、僕が小学生の頃祖母はこれを書いて何かに入選し、師範の免許を取って近所の子どもたちに書道を教えていた。で、例えば漢字の書き取りの宿題があったとき、よくキレイな字を書くようにしつこく言われたものだった。

正直、自分ばっかりキツく言われてるような気がして、小学校のときの自分はあまりよく思ってはなかった。けど、考えてみればこのおかげである程度得しているところはいくらでもあるので、今となっては感謝してもしきれないくらいだ。

それに、祖母は俳句の趣味もあって、自ら句会の主宰もしていた。そこへ、学校が長い休みのときはちょくちょくついていって自分で俳句を作ったものだった。ちなみにNHKの俳句の番組に子どもの特選とやらで取り上げられたこともあるし、おじいさんおばあさんばかりの俳句大会で2位を獲って陶器セットを貰ったこともある。

今こうして文章を書くことがさほど苦じゃないのは、こういう国語の基礎的な能力の土台を祖母が作ってくれたところがあるのかもしれない。祖母が僕に遺してくれたものは思った以上に大きかった。ほんとこういうのって亡くなったあとに気付くもんだ。

これで、僕のいわゆる『祖父母』という存在は、全員亡くなった。うちは両親が40過ぎてもそれぞれの祖母(=僕から見たら曽祖母)が生きていたので、この年齢で祖父母を全員亡くすとは正直思ってなかったし、Facebookとかで祖父母にプレゼントしました、みたいな投稿を見ると切なくなる。

だからこそ、いま祖父母が健在の人にはもっと大切にしてあげてほしいと思うし、僕自身も3人の祖父母(父方の祖父は僕が生まれる前に亡くなってます)の教えや得たものを大切にしながら、ここから先の祖父母がいない人生を歩んでいきたい、と思う。