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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

父の終活と人望がスゴすぎた

今日、父親の葬儀告別式が無事滞りなく終了した。

亡くなった後、ああそういえばこれからこの後葬儀屋との交渉とかあるんだよなあ・・・と思っていたのだが、びっくりすることに父はこのあたりの準備をしっかり整えていた。葬儀会場に着いて、担当者が「この度はご愁傷様です」と挨拶した後に出た一言が、

「では、生前に(父の名前)様が段取りされたものをベースに進めてまいりますので・・・」

というものだったので、思わず泡食ってしまった。聞けば、亡くなる2週間半前にきちっと段取りを決めていたらしい。おいおい、ぜーんぜん知らなかったぞ。

今時は「終活」だなんて言って、死ぬ前に自らの葬式の段取りをすべて整えるやり方が流行しているという話は知っていたが、まさかうちの父親がこんなことをしているとはまったく思ってもいなかった。しかも聞けば聞くほどその段取りが完璧すぎた。

そもそも、僕は生前父に「葬式のときはこれを流してくれ」と一曲リクエストをされたのは覚えていた。確かEaglesの「Desperado」という曲だったよなーと思って言おうとしたら、EaglesはEaglesでも「The Last Resort」という曲だった。

あぶないあぶない*1。この時点で口を挟むのを諦める息子。

まあここまでならよくある話だと思うのだが、父の本領発揮はここからだった。

まず、今回の葬式会場は今まで一度も使ったことがない式場だったのだが、入院中一時外出という形でわざわざいくつかの式場を回り、担当者の人柄と設備の良さでほぼ即決したらしい。うちの家族は喫煙者が多いので、分煙の設備や空気清浄機が多かったのも判断材料になったようだ。

墓はうちの先祖代々の墓がある*2し、お寺も血筋に毎年盆と正月にお世話になってる檀家さんがいるのでそこで。そして各所への連絡はあらかじめリストを作って、会社関係者はこの人、同級生はこの人に連絡を回せ、という手書きのメモをしっかりと残していた。

そこから祭壇、棺、骨壺はもちろん、自分が棺に入るときの服装まできっちりと指定していた。VANというブランドのジャケットにネクタイ締めて、下はベージュのズボン*3。本来の白装束はお着替えとして入れておきますね、と指定した服装をきちんと着用させてくれた担当者の配慮が有難かった。

さらに食事の段取りまで完璧だった。最期は食事が全くできずに好きな宴会もできなかったので、通夜後に参列した父の友人知人に向けて寿司や軽食とビールなどを準備して大宴会を開く段取りもしていた。そして、告別式と初七日を終えての家族の精進落としの料理も、父が指定していたメニューで出てきた。

通夜後の大宴会は事前に案内したこともあり、20人ほどが集まって大盛り上がりとなった。僕は食事する暇もなく各テーブルを回って御礼したり、知ってる人がいれば談笑したりしていた。久々に会う知り合いのおっちゃんとかもいて、「今度家来いよ!」と連絡先交換もした。

父の目論見は、もろに大当たりだった。

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父が最期のときも肌身離さなかったブレスレット。火葬NGだったのでもらってつけることにした

こっちで主に決めたことと言えば、粗供養の品物と通夜後の大宴会の食事の追加注文くらい。ちなみに「土曜に通夜・日曜に告別式という日程でやってくれ」という段取りもあったのだが、亡くなったのが月曜でそこから4日安置するのはさすがに費用がかさむ、ということでこの意向は無視させてもらった。

土日で通夜告別式とすれば遠方の知人友人も無理せず集まれるから、という理由だったらしいのだが、結局火曜通夜・水曜告別式でも合わせて100名近くの人が来てくださった。もちろんタイミングが合わなかった人も大勢いたが、おそらくここはたぶん父も予想外だったと思う。

父は亡くなる一週間前に病棟を移っていたのだが、亡くなったという話を聞いてその前の病棟から看護師さんが何名も顔を見に来てくれた。明らかに僕より若い看護師さんもいたけど、みんな号泣していた。亡くなる数時間前にも涙ながらに来てくれた看護師さんもいた。正直驚いた。

そして通夜告別式に来てくださった父の知人友人、特に高校大学の同級生はほんとに大泣きしていた。泣いてる母に抱えられながら嗚咽を漏らしている大学の同級生の人もいた。

よくよく考えりゃ、父の最期の瞬間、個室の病室にはなんと11人もいた。僕と母、父の兄姉夫婦、父の姪っ子3人、姪の子ども2人。これが休日なら理解できるが、上にも書いたように亡くなったのは月曜日である。にもかかわらず、看護師さんがビックリするほど個室は満員だった。

父の人望の厚さに、ただただ言葉が出なかった。

最後のお別れのとき、うちは涙もろい家族なのでみんな大泣きだったせいか、はたまた亡くなった後の病室で散々泣き崩れたせいか、僕はビックリするくらい冷静に向き合っていた。泣くこともなく、最後食べられなかったしね、とラップにくるんだステーキとチャーハンを棺におさめた。

先に逝った家族によろしく頼むな、と言うと伯母が泣き崩れた。あんたがお父さんでホンマ良かったわ、と付け加えると、母に「それ生前に欲しかったよな!」と泣き笑いながらツッコまれた。そこは謝るわ、と棺の前でまるで漫才のように掛け合う僕。

参列者もみんな泣きながら棺に花をおさめた。そこで延々とリピートしていたのは、さっきも書いたEaglesの「The Last Resort」。

父を中心にみんなが囲んだあの時間は、まさしく父にとっての「ラストリゾート」*4そのものだった。

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父が亡くなった夜、外は涙雨がしんしんと降っていた。その雨は翌日の通夜の日も少し残り、空はどんより曇っていた。ところが告別式の日になると、雲一つない快晴。斎場で荼毘に付される瞬間、思わず外に出て写真を撮るほどだった。父はこのあたりのシナリオまで完璧にして、逝った。

しかも火葬を終えた父が戻ってくると、斎場担当者が驚いていた。

人間の遺骨には3体の仏様がいる。ひとつは喉仏、そして手指と足指の骨(指仏)なのだが、父の遺骨はこの3つがキレイに揃っていた。指仏、特に手指の骨はとても脆く大体先端が消失するそうで、こうしてハッキリと3体の「仏様」が残るというのはかなりなレアケースなんだそうだ。

それを聞いた瞬間、収骨室は自然な拍手に包まれた。それを背にして、僕は後ろの遺影に一言。

お父さん、ホンマもってるな。

写真屋をやっている親戚が手掛けた遺影の父は、まるで喜劇俳優のように茶目っ気たっぷりの顔をしていた。奇しくも父母が31回目の結婚記念日を迎える前日に執り行われた、父の最後の晴れ舞台。遺影の胸元には、ネックレスにしてつけていた結婚指輪が輝いていた。

―――

末筆ですが、生前父がお世話になったすべての皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。また、突然の訃報で驚かせてしまい、申し訳ありません。

正直、未だになんか「父がいない」ことにものすごく違和感はありますが、最期の会話「やりたいことをやって生きろ、用事があるならもう行っていい」という言葉を胸に、明日から徐々に現場復帰していく所存です。

*1:しかも「Desperado」という曲名も思い出せず、「さんタク」のエンディングの曲!と言おうとしていた

*2:が、数年は納骨せず我が家にいてもらう予定

*3:全身見たらどっかの高校の制服っぽくてまた泣き笑った

*4:ちなみに、The Last Resort自体はアメリカ先住民と白人の対立を描いた歌である

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