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SH Diary.

かつて不登校だったひとが野球や遠出、日常とたまにちょっとまじめなことを書いてます。

やっぱり、ちゃんと「ナナメの関係」を目指したい

event thought

秋ぐらいから、仕事でよく中学生や高校生と関わっている。

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前の日曜日は、以前高校生80人と2泊3日合宿した「全国高校生マイプロジェクト」(以下マイプロ)の発表会にスタッフとして参加してきた。会場は合宿と同じ大東市だったので、そのとき以来に降り立つ住道の駅に、懐かしさとまた新たな高校生と出会える楽しみもある街だなあ、と思う。

今回は各ブロックごとに分かれた高校生のグループに入って、発表の仕切りやタイムキーパーを担当。来月東京である全国大会に進出するチームを決めるのに審査員の方の相談役というのも大切な仕事だった。で、進出チームが発表されると、その嬉しさ、また進出を逃した悔しさから涙する高校生たち。

その様子を遠くから見守っていると、知らず知らずに涙腺がちょっぴり緩んで、ああ自分も年取ったなあとか思ったのだった。

そんな今日この頃、よく思い出すことがある。
 

僕が子どものころの話

何度か書いているが僕は両親祖父母に自分ひとりという家庭で育った。で、早いうちから保育園に通っていたので、家に帰れば大人だらけ、保育園や学校に行けば子どもだらけ、というやけに両極端な場所を行き来する毎日を幼いころから過ごしていた。

だから例えば大人でも子どもでもない、自分より10歳前後年上の従兄姉と遊んでもらうのがすごく楽しみだった。僕は父方母方とも従兄弟関係では最年少、かつ若干年が離れていたので、ケンカすることなんてなかったしおもちゃとか買ってもらったこともあった。

そして、今の僕の考えの基になっているあるひとつの原体験がある。

保育園のころ、うちの父は学校へとある教材を納入する仕事をしていたのだが、一度だけ大きなトラックに乗ってその仕事についていったことがあった。仕事先は高校だけど、どこの高校かは覚えていない。着くと父は納入作業に勤しむので、僕は何をするでもなく宙ぶらりんになってしまう。

で、それを見かねてか、そこの高校生が僕をグラウンドで遊ばせてくれたことがあった。5,6人くらいの高校生だったと思う。何をしてたのかなんてさっぱり覚えてないのだけど、それが、なんだかすごい楽しかった。そのときのだだっ広いグラウンドと目線を合わせてくれる高校生の姿を、今でもふと思い出す。

たぶん、高校生にとっても、5歳そこそこの保育園の子どもと接する機会なんてめったになかったはずだから、すごく楽しそうに接してくれていたのだろう。

中学生で不登校になり、いわゆるフリースクールに通いだしたときも、大学生のボランティアのお兄さんお姉さんが来る日がすごく楽しみだった。体力のある彼らならではの遊びができるのはもちろんなんだけど、なんかそこにいてくれるだけでなんとなしの安心感があった。

ひとりっ子で、昔から兄弟姉妹という存在にそこはかとない憧れのようなものを抱いていたせいもあるのかもしれない。今でも兄弟姉妹の話を聞くとちょっとうらやましいなあと思う自分がいる。特に年上の兄姉にあこがれていた子どものころは、先生でも親でも同級生でもない存在がすごく貴重だった。
 

めざせ、ナナメの関係

この3連休、70人もの高校生と30人の大人と過ごして、僕はひとつの「やりたいこと」を見つけ出した。

高校生の「ナナメの関係」になること。

 
「上下関係」でもない、友達同士の「横の関係」でもない、「ナナメの関係」というのは子どもたちにとって実は重要な存在である。昔は地域のおっちゃんおばちゃんと言われる存在がこの「ナナメの関係」だった。でも今やたやすく近所の子どもに声かけたら不審者になっちゃう時代。
 
僕自身、中学生のころに不登校になってから、救われたのはフリースクールの先生だったり、高校時代に参加していたフリーペーパーの編集ボランティアで出会った人たち、つまり先輩でも友達でもないナナメの関係の存在だった。彼らと出会ってなければまちがいなく今の自分はない。
 
だからこそ、これからを生きる高校生や子どもたちの「ナナメの存在」として、先輩でも先生でもない立場で子どもたちを暖かく見守りたい。
 

冒頭にリンクを貼ったマイプロの合宿の振り返り記事に、こんなことを書いている。

で、今回マイプロの発表会にブロックの進行役で参加して、改めて「ナナメの関係」を意識した。

しかし、「ナナメの関係」というのは実に難しい関係である。

そもそも、ナナメの関係というのは年上側が年下、つまり子どもたちに「なってあげるよ」と言って成立する関係では、ない。子どものやることに興味を示したり、感じていること、悩んでいることに寄り添った関わり方が重要すぎる関係である。

だからこそ、こっちから何か強要するのではなくて、「いつでも助ける準備はできてるよ!」というサインを送るのが重要なのかな、と思う。ちなみにこれはアドラー心理学にも通ずるところがある。

実はこの間、行きの電車に忘れ物をして子どもたちの集まりに参加したことがあった。駅に電話しても結局見つからず、大いにへこんでるところに「あそぼー!」と子どもたちが輪に入れてくれたのだけど、忘れ物のことで頭がいっぱいになってあんまり楽しい顔をすることができなかった。

帰りの電車で、忘れ物をした以上に大きくへこんだ。ああ、俺、バカなことしたなー、と。

子どもは、大人がつまらなそうな顔をするとすぐに察知する。場づくりや関係づくりにおいてこういうのは鉄則であって、大人がつまらなそうだと良い雰囲気の場はまずつくれない。ほかの大人がめちゃくちゃ楽しそうに子どもたちに飛び掛かられている中、僕の至らなさを痛感した。

これ以降、小中高生が集まる場では、できるだけ場を楽しむ、なんなら自分が一番楽しいぞ、というような面持ちで臨むことにしている。まあ、僕の場合、それでうっかりリミットを解除しすぎて、気づけば他の大人から白い目を向けられることも多々あるから、気を付けなければならないのだけど。

そして、今回のマイプロ発表会。ブロックで一緒だった高校生たちのLINEグループが帰り際に立ち上がり、僕も混ぜてもらえた。うちのブロックはどういう訳か発表会が終わるとノーサイドと言わんばかりに急に結束が固くなり、Facebookでも盛んにやり取りをしていた。それがすごく微笑ましかった。

僕はすごく人見知りなので、Facebookのいいね!は大丈夫だけどTwitterのリプライとかは結構躊躇う。なんかこんな気安く話しかけていいのか、とか思って結局黙って見守ってるのだけど、まあ近況を知れるだけでもいいのかな、というかこの距離感が大切なのかな、と思ったりもする。

そんなふうに試行錯誤しながら、これからも子どもたち、マイプロの高校生、あとうちの事業で関わる中学生の「ナナメの関係」を目指していこう。

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改めて決意を新たにした大東の夜だった。

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