SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

ドキュメント3000文字:23年ぶりの震度5

月曜の朝、7時55分。

1時間後には電車に乗ってなきゃいけないことを考えるとそろそろ起きなきゃいけない。うーん、朝飯食うかー、と思い身体を起こした、その瞬間だった。

ズドドドドドドド・・・・・・・

なんだなんだなんだ!?

考えるすべもなく再び僕の身体はベッドに戻された。ものすごい揺れだ。枕元のスマホが「地震です」と連呼している。そんなことはイヤでもわかる。

「うわ、うわあああああああ」

その大きな揺れに、為す術もなく情けない大声を出すことしかできなかった。

揺れが収まった。Twitterを見れば「大阪北部震度6弱」という衝撃の8文字が躍っている。つまりこのあたり(京都)はいったいいくつなんだ?と考えていると、階段を上る音が聞こえてきた、ということは階下の家族はとりあえず無事だったようだ。慌てて部屋を出ると、「台所がえらいことになった」と家族が言う。

見れば、調味料の棚が崩れていた。なんかこういう光景、大地震のときに見た記憶がある。まさかうちでこんなことになるとは思わなかった。ひとまず、近所に勤める家族は仕事場が心配だとすぐに出かける支度をしたが、今度は玄関先で「最悪!」という声が聞こえてきた。

玄関には、亡き父が最期に作ったプラモデルが置いてある。まさか今の揺れでそれが壊れたのか?と思って慌てて玄関に駆けつけると、壊れたのはプラモデルではなく荷受けのときに使うシャチハタの印鑑だった。揺れで棚から転落して、見るも無残にバラバラになったらしい。

なんにせよ、プラモデルの無事に思わず胸をなでおろして、家族は出勤していった。

ここまで地震から10分、頭が混乱しているが、ひとり引き続き被害を確認する。ふと階段を見上げると、吊り下げている照明が10分経ってもまだ気味悪くぶらんぶらんと揺れている。さらに洗面所に足を踏み入れると、棚の上に置いてあった僕のシェービングクリームや洗顔フォームが全部落っこちていた。

あとはまあ大丈夫かな?と自分の部屋に戻ったら、実は一番被害が大きかったのは自分の部屋だった。

本棚がやけにスッキリしているな、と思ったら、飾っていた写真立てや色紙類、数台のミニカー、そしてonちゃんのぬいぐるみが、ごっそり消えていた。視線を下ろせば無残に転がるonちゃんとミニカー。写真立てや色紙は本棚の裏側に全部落っこちている。部屋を出たときはまったく気付かなかった。

さらに机の領域が狭くなったなあと思ったら適当に積んでいた書類や封筒が全部机にばらまかれ、机の上の小さな棚も落ちかけていた。あぶない。棚は窓の出っ張りに引っかかってギリギリ転落を防いでいた。しかしこの程度で済んだと思うべきだと感じたのは、翌々日出勤して大阪在住の同僚の話を聞いたとき*1だった。

僕は朝のコーヒーを淹れることもなく、状況把握にとにかく必死だった。京都の震度は最大5強。僕がこの震度を体験するのは23年前、あの阪神淡路大震災以来のこと。ちなみに僕の一番古い記憶はこの阪神淡路大震災の大きな揺れである。もちろん感慨深いとかそんな思いはひとつもない。

とりあえず、JRも私鉄もほとんどストップしていることがわかった。ということは確実に出勤できない。すぐさまiPhoneを手にとり職場に電話する・・・が、「つながりませんでした」という見たことない画面とともに電話が切れる。まずい、電話の回線がパンクしている。

10回ほどかけ直してようやくつながった。簡単に状況を報告すると、「今日休講にするんで、もう大丈夫ですよ!」とのこと。これで外に出る必要がなくなった。朝から出勤する日であれば確実に電車に閉じ込められていただろう*2。この日に限って昼からの出勤だった*3のは、神がかり以外の何物でもなかった。

しょうがないのでこの日は溜まっていたメールを返信したり、Facebookのツールで無事を報告したり(まさか自分がこのツールを使うときがくるとは思わなかった)、あとは気晴らしに文章を書いて昼寝をして1日過ごした。その間にも気味の悪い余震がたびたび襲う。昼ごろには完全にノイローゼになってしまった。

あと、地震の対応でてんやわんやになって、この日が回収日だったごみを出すのをすっかり忘れた。いま考えるとこれがある意味この地震で僕が食らった一番の被害かもしれない。
 

火曜日

2時間に1度強めの余震が来てそのたびに目が覚める。一応眠れてはいるのだがまったく疲れが取れない。

Twitterを覗けば熊本地震東日本大震災では2日後に本震が来たという話で持ちきりだった。何があるかわからんから備えとけよ、という意味なのだろうだが、一部で「2日後に地震が来る」という、決定稿のような予言に話がすり替わっていたのが、すごく気になった。

夜、家族が備蓄水を用意していたのだが、「なんか明日大きい地震が来るっていうから」というその理由に、僕はうっかり小言を漏らしてしまった。そんなことを信じてどないすんねん、熊本地震と昨日のやつはそもそもメカニズムがちゃうねんで、そういうのホンマ腹立つわ、と。

しかし続々とやってくる余震に耐えつつもいざというときの水の確保は僕も必要だと思っていた。なのに「そういうのホンマ腹立つわ」は、どう考えても、ない。地震発生から36時間、確固たる出所がない情報と度重なる余震に、僕のイライラはピークに達し、その分自己嫌悪も激しくなっていった。

LINEグループでも誰が言い出したかわからない情報が流れてきて、「その情報はどこからのものなの?」「今の状況で噂レベルの情報流しても混乱するだけですよ」となかなかの勢いでキレてしまい、グループの雰囲気を悪くしてしまった。それくらい、根も葉もない噂が本当に苛立った。

この日は阪神とロッテの試合を観に甲子園に行くつもりだった。昼、余震に怯えながらシャワーを浴びて、ロッテのユニフォームまで着たのだけど、万が一大きな余震で電車がストップしたらまずいなぁ、と思い、試合3時間前に行くのを止めた。そしたらロッテが阪神に勝ったので、やっぱり行きゃよかったと思った。
 

水曜日

やっぱり余震が多い。というか深夜に頻発している気がする。

改めてこの日は出勤。しかしこういうときに限って大雨で、余震で細切れだった睡眠のせいもあって非常に気が滅入りながら通勤する。が、いつものように生徒が挨拶したり、ときどき悪態をつく姿に、なんだか救われた気分になった。

僕はいつもどおりがいつもどおりじゃなくなるとひどく狼狽してしまう。振り返れば月曜日の朝から、「いつもどおり」がまったく「いつもどおりじゃない」生活だった。そしてこの日、出勤していつもどおりの生徒と接して、「いつもどおり」のありがたさを痛感した。

いまは、余震がだいぶ落ち着いているようだ。しかしそれが逆に怖い。歯を磨くときも、お茶を淹れる間も、たとえ震度1程度のちょっとした揺れですら敏感になる。「ドン」という音でもすぐに身構える。勤務中も、すぐに大きい音がするだけで「地震だ!」と身構えてしまった。ちなみにまったく揺れていない。

(いまのところの)本震が起床後5分、そして目が覚めてすぐに余震がどーんと来ることが多かったせいで、どうも寝て起きたら地震が来るような感覚に苛まれている。これがちゃんと寝た気がしない正体かもしれない。いつまでこの気張った生活を続けなきゃいけないのか、と思うと気が重い。

ひとまず、ケガもなく、身体は元気だということを、ここにご報告させていただきます。

*1:タンスひっくり返ったり食器があらかた落ちたらしい。うちはそこまではなかった

*2:実際にひどくて5時間近く閉じ込められていた同僚もいた

*3:午前中は別件があって、それを済ませてからの出勤予定だった