SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

縁もゆかりもない福知山の街で、ふと祖父を思い出す

先日、出張で福知山に行く機会があった。

京都駅から朝一番の特急に乗り込んで1時間と少し。遠出するときは9割がた青春18きっぷだし、滅多にJRの特急なんて乗らないのでいろいろ興奮してしまう。普段小さいサイズのコーヒーなのに、このときばかりはラージサイズのコーヒーを買い込んで乗ってる時点で浮かれモードがバレバレ。

同じ京都に住んでいながら、京都市より北に行く機会などめったにない僕は、いくら福知山市が府北部の主要都市であっても来たことはあれど最後に来たのがいつかまったく思い出せない。福知山駅に降り立ってすぐさま仕事先に入ったので観光も無理かなあ、と思ってたら、撤収作業がスムーズに終わって40分ほど時間が空いた。

他の同行者は駅で時間を潰すと言うので、じゃ僕はそのへん散歩してきますー、と単独行動に出た。

仕事先からも良く見えた「○」に「さ」の看板は、地元のさとう、というスーパーのもの。絶対この看板をTwitterFacebookのアイコン画像で使ってる「佐藤さん」がいるんだろうなあ、なんて想像しながら夕方で冷えてきた福知山の街を歩く。

駅の近くですぐに行って帰って来れそうな場所、ということで目星をつけていた福知山城に足を運ぶ。城内への最終入場時刻を10分過ぎただけだったのに、びっくりするくらい誰もいなかった。朝乗った特急が福知山駅に着く前に「福知山城は明智光秀が築いた城で・・・」と車掌が観光案内を放送するような場所なのだが。

しかし高台にあるので風景はすばらしい。

道中、こんな看板を見つけた。

何が「そう来たか!」なのかはよくわからないのだが、僕はこのフレーズで8年前に亡くなった祖父をふと思い出したのだった。

祖父は僕に将棋を教えてくれた。小学生のときクラスで将棋が流行った時期があって、家でも祖父相手によく将棋を指していた。僕が手を打つたびに、祖父はいつも「そう来たかぁ」とひとしきり唸り、「ならこれはどうや」とよく逆王手をかけられたものだった。僕はとても将棋が弱くて*1、結局祖父に勝てた記憶はほとんどない。

この間、祖父の兄が95歳で亡くなった。お通夜に参列したあと、告別式は出られないからと遺影とお顔を拝ませてもらったのだが、さすが兄弟と言うか祖父のときとびっくりするくらいよく似ていた。そんな矢先にこんな看板に出会うだなんて、天国から祖父が何かのメッセージを送っているのだろうか。

気が付けば、合流予定時間まで10分もない。ほぼ日が暮れた福知山の街をせかせか歩く。なんとか合流時間の1分前に同行者と再合流すると、「見事に時間ピッタリですね」と同行者が驚いていた。

居酒屋で軽く打ち上げして最終の特急で帰る。まったく縁もゆかりもない土地だと思ったけど、まさか祖父のことを思い出すことになるとは想像だにしていなかった街、福知山。今後この出張があるかどうかは微妙だけど、きっといつかまたこの街を訪れたとき、祖父との将棋の思い出に出会うんだろうなあ、と思う。

これだから、遠出することをやめられないのだ。

*1:将棋ソフトの一番弱いレベルも、毎回次の一手をコンピューターに教えてもらってようやく勝てるくらい