SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

チンピラ先生だった土橋先生(仮)の思い出

忘れられない先生がいる。仮に土橋先生という名前にしておこう。

土橋先生は通っていた高校の生徒指導担当教師である。ちなみに僕は不登校上がりで入学したこの高校を2ヶ月で退学しているのだが、その要因の30%くらいをこの土橋先生が占めている。

この高校の先生方は、とにかく生徒が問題を起こしたり意に沿わない行動をしたときの接し方が絶望的に下手くそだった。とりあえず上から怒鳴り散らすのだ。しかも満遍なくいろんな先生が怒鳴る。風貌もいわゆる強面の先生方が多く、その中で土橋先生はスキンヘッドにヒゲ面という、強面の筆頭格のような存在だった。

今思えば、ここの先生方は全員生徒にナメられたくなかったのだろう、そしてなんでナメられたくないのかといえば生徒が何かにつけて歯向かってくるのが怖いのだろう、と簡単に想像できる。しかしこの関わり方は、ハッキリ言って失敗していた。

放課後、学校の最寄り駅のホームで、清楚な顔をした女の生徒が突然メイクをしだし、ピアスまでつけてチャラそうな女に変身する瞬間を知り合いが目撃したらしい。たしか校則でピアスは規制されていた。こういう小さなところで先生への反抗が起こっていた、そういう学校だった。

そんなときに、新入生が1泊2日で研修に連れ出される機会があった。場所はどこにでもあるような旅館。

夕食時、腹も減って旅館のうまそうな食事が並ぶ中、いただきますをするのかと思ったらいきなり土橋先生の説教が始まる。生徒のひとりが隠れてタバコを吸い、それを見つけたのだそうだ。ハッキリ言おう、そんなものはどうだっていい。明らかに生徒指導の権力を誇示するような自慢話だ。だからなんだっていうの?

そう思った生徒が他にもいたらしい。その生徒はそれをひそひそ話という形で表現したようだ。

それが、土橋先生の逆鱗に触れた。
 
「静かにしろぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」
 
そして、立てオラ!なめとんのかコラ!と、注意というよりもはや恫喝のように生徒を立たせ、土橋先生は怒り狂った。まるで日頃のストレスをその生徒にぶつけてるような、そんな光景だった。きっと周囲の生徒を恐怖で支配させる目的もあったに違いない。

こう、赤字で大きく書くと、非常に間抜けに見えてしまうのが、僕は無性に腹が立つ。土橋先生は、一般客も泊まっている普通の旅館の大広間で、しかもマイクを通して、それはそれはとんでもない大声で生徒に怒鳴り散らした。冒頭、植松さんのエントリの言葉を借りれば、あれはチンピラ以外の何者でもなかった。

当たり前だろう。別に自分たちがタバコを吸ったわけではないのに、「タバコを吸った生徒がいた」「お前らは吸うんじゃない」と聞きたくもない説教を聞かされているわけである。しかも食事の前に。そんな状況で、誰が集中力と素直な心を持ってあんたの話を聞くのか。書いただけで怒りがこみ上げる。

その後葬式のようなムードで食事は始まったのだが、ひそひそ話をしていた生徒は土橋先生によって別室に連れて行かれた。きっと追加の説教があったのだろう。自分たちの原因を追究せず、問題行動を起こせば生徒が100%悪いと決めつける。この人ら、自分が偉い、正しいという一心で学校の先生やってんのか?

良い肉のすき焼きが出た記憶があるが、美味しく感じられるわけもない。それも悲しかった。この時点でなんとかしてこの研修を抜け出すことしか考えていなかった。そういえばさっきタバコを吸った生徒は強制帰宅させたと言っていたが、自分もタバコを吸えば帰宅することができるのだろうか。

結局タバコは吸わずに、担任に限界です帰らせてくださいと伝えると、宿泊客も通る旅館のロビーで土橋先生はじめ複数の先生方に囲まれ2時間ほど喧嘩になった。そもそもこの研修は、気乗りしなかった僕に担任が「リタイアしてもいいから行こう」と誘ってくるので行ったものだった。つまり話が違うのだ。

「あの生徒は何人もの先生に囲まれてるけど何をしたの?」という宿泊客の痛い目線が屈辱的だった。

僕は帰らせてください、と言ってから、「怒鳴る」という点を除いてきっちりと問題を起こした生徒という扱いを受けた。つまり、タバコを吸った生徒、説教中にひそひそ話をした生徒とほぼ並列の扱いだったわけだ。土橋先生はほぼ言葉こそ発しなかったが、内心は腸が煮えくり返る思いだったに違いない。

2時間の喧嘩の末、とうとう帰宅許可が降り、僕は旅館をあとにした。この時点ですでにもう、この学校に対する信頼はなにひとつ失っていた。

もしも僕がちょっと悪魔の心を持っているのなら、高校の実名や仮名にした土橋先生の本当の名前とかを書いてしまうのだろう。それくらい、あの高校に行きたいという生徒がいたら全力で「やめとけ」と思う。

あの学校は、自分ばっかり偉いと思いたい教師の集まりだから、生徒のことは何も考えてくれない。チンピラ先生の集まりだから。

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教育実習に行くことになった。

教職のイロハとか、教科学習に必要な知識とかをいま必死になって詰め込んでいるのだけど、心にはあの土橋先生のマイクを通した「静かにしろ!」の大声がいつも、いつも響いている。10年経ってもトラウマの声。

僕は、怒鳴り散らす先生というのは、生徒指導に対して何ひとつ自信がない先生だと思っている。

怒鳴る、ということは「この人に従わなければこうやって怒られる」と恐怖心を植え付けて服従の関係に置くことが容易にできるわけだ。それを「先生と生徒」と言う関係でやると、常に生徒は先生の顔を気にして動かなきゃいけなくなり、それが学校を出て社会に進出しても癖づいてしまう。

いけないところを注意するなと言っているわけではない。もっとやり方があるでしょう、という話だ。植松さんのエントリにあるように、生徒の行動には必ず原因がある。つまり生徒がタバコを吸ったことにも理由があるわけだ。そんなことすらわからずに怒鳴りつけて説教するようじゃ、指導とはいえない。

そんな教育を身をもって体験したからこそ生徒への関わりについての知識がそれなりについたし、それがこれからはじまる教育実習に生きようとしている。

そう言った意味では、あの学校と土橋先生に感謝したほうが良いのだろうか、と、あのスキンヘッドとヒゲ面を頭に浮かべる。

いや、やっぱりないな。

26歳になった今でも、あの学校の上から押さえつける教育は自信の無さの象徴だと思っている。