SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

2021秋・どこでもきっぷで西日本右往左往2000km【3日目:北陸編】

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博多から山陰経由で京都にたどり着いたのが2日目の23時半。これで移動終了、と思いきや実は博多からの「片道移動」がまだまだ続いている。
 

京都→金沢→糸魚川

3日目、京都から乗ったのは朝イチの「サンダーバード」。初日は九州、2日目は山陰をめぐって、3日目は一気に北陸へと足を踏み入れる。

前の夜、米子駅で「やくも」を待っていると唐突に「鳥谷敬現役引退」の7文字が躍っていたので、京都駅のコンビニのオープンと同時にありとあらゆるスポーツ紙を購入。ひとしきり車中で読んで、あとは爆睡する。

金沢でさらに北陸新幹線に乗り換え。前の年、コロナ禍のギリギリ直前に出張で富山まで行ってたので、北陸新幹線は2度目。しかし今回は富山を大きく通り越す。

降りたのは糸魚川駅。博多を発って約28時間、ついに新潟県までやってきた。ここまでくれば、前日朝からの「片道移動」のゴールはあと少し。糸魚川からは少し南へ、大糸線に乗ることになる。
 

糸魚川根知

この大糸線、1日に数本しかないという大変乗りにくいローカル線なのだが、京都から朝イチのサンダーバードに乗るとこれがうまいこと乗り換えられる。となればこれを利用しない手はない。

で、そんな大糸線、ずっと乗れば南小谷駅、つまり長野県にも足を踏み入れることになるのだが、

今回は長野県までは行かずにその手前、根知という小さな駅で降りる。ちなみに降りたのは自分だけ。

こんな小駅に何があるのかと言えば、おそらく日本人の誰もが教科書で1度は目にしたであろう、カタカナ7文字の、あれ。

そう、フォッサマグナである。社会科(地理)でも、理科(地学や科学と人間生活)でもプレートの話になると絶対出てくるやつ。そんなものがこんな小さい駅から徒歩圏内にあるなんて、ちょっと信じられないところはある。

そもそも「糸魚川」といえば「糸魚川静岡構造線」というワードも地理の教科書で頻出単語なのだが、この糸魚川静岡構造線を西端として、日本列島が形成されたときにできた大きな割れ目の断層帯こそがフォッサマグナ。ちなみに北アメリカプレートとユーラシアプレートの境目でもある。

で、ここ根知駅の近くに「フォッサマグナパーク」というその名もズバリの施設があり、ここでじっくりと見学ができる、というわけだ。ちなみに行った3週間後には「ブラタモリ」でフォッサマグナ特集があり、立入禁止区域に普通にタモリさんが立っててNHKパワーすげえなあ、と思った。

さっき「北アメリカプレートとユーラシアプレートの境目」と説明したが、実際に見てみるとプレートの境界で地層の色が違うことがよく分かる(「西」と「東」の看板あたりに注目)。これもまたフィールドワークの賜物である。

この時期は自分が受け持っている地理の授業でフォッサマグナを扱う授業はとっくに終わっていたので、次年度用にあれやこれやとフォッサマグナを撮る。と書いたものの、結局復習(という名の行ってきたぞ自慢)でフォッサマグナの写真をあれやこれやと見せたのだが。

糸魚川までの戻りの大糸線が来るまでちょうど2時間。これ以上ない授業資料の宝庫にテンション上がりっぱなしであっという間に時間が過ぎていった。大満足!
 

根知糸魚川

さて、今日のメインはこのフォッサマグナだったので、あとはもう帰りの新幹線で砺波平野あたりの「散村」という集落形態を資料写真として撮る以外は特にやることがない。とりあえず糸魚川に戻って新幹線の時間だけ確認すると少し時間があったので、海を眺めにいく。

なんか展望台のようなところがあったのでそこから1枚。

ここから糸魚川の駅までは商店街になっていたのだが、ある店頭に貼られていたモー娘のポスターにはしびれた。というか、この顔ぶれで時代を感じるようになったんだな・・・。
 

糸魚川→富山

最初は意味もなくこの切符の東限である上越妙高という駅に行こうと思ったのだが、調べても特に何があるわけでもないようなので、結局なんの目的もなく戻る方向、金沢行きの新幹線はくたか号に乗った。

時刻はまだ昼過ぎ。このまま金沢まで乗り通してもいいし、別のところに立ち寄ることも十分できる。と、そういえば昼食がまだだったことを思い出し、いったん新幹線を富山で降りて「白えび丼」を食べることにした。

昨年の富山出張で行った富山駅の商業施設の店で。前回は白えび天丼にしたが、今回は奮発して生の白えび丼。昼食に2000円以上かけるなんて普段なら絶対ありえないが、まあこれも旅の醍醐味である。

食後はお散歩。世界一綺麗なスタバでお馴染み、富山環水公園のスタバを見物する。というか、これも前回出張来たときにやったな。

富山駅に戻ると、あと5分後に新幹線「はくたか」が出るようだった。このまま次は金沢へ向かうことにしたのだが、金沢までなら「つるぎ」という新幹線もある。慌てて「はくたか」に乗らなくても「つるぎ」でもいいかなー、と思ってたら。

なんと、5分後の「はくたか」を逃せば、次の金沢方面の新幹線は1時間後。

あれ?と思って駅の改札に行けば、「つるぎ」は新型コロナウイルスによる乗客減少で運休。

ドヒャーーーー!!!!
 

富山→金沢

というわけで、慌てて「はくたか」に乗った。よく考えたらこれがこの旅最後の新幹線である。

懸案事項だった「散村」の授業資料写真も無事ゲット。

この金沢という街は子どものころに夏休みの家族旅行先の定番だったのだが、大人になって金沢へ足を運ぶと子どものころとは全然違った味わい深さがある。夕方前だが、日没まで金沢を歩くことにした。

まずは近江町市場。さっき富山で白えびを食べたばかりだが、この近江町市場には個人的に「日本一うまいコロッケ」だと思っている近江町コロッケがある。これは前回の出張時には食べられなかったので、ものすごく久しぶり。

ちょっと濃い目の味付けにしっかり揚がった衣、ホクホクのジャガイモが実にうまい。

そのまま金沢城公園を抜けて見えてきたのが兼六園。そういえば、金沢は何度もきているが兼六園に入った記憶がない。ちょうど閉園1時間前というタイミングだったが、せっかくなので入ってみることにした。

そしたら何か作業をしている。お、これは雪吊りの準備だ。いいものを見れた。

と思ったら、どうやらまさにこの日から雪吊りの作業が始まったと、このあと通った香林坊あたりの街頭テレビが報じていた。なんだか運が良い。

兼六園を抜けて金沢21世紀美術館を少しだけ見学。有名なプールは案の定大混雑だったので今回はパス。

結局そのまま歩いて金沢駅へ戻ってきた。この時点でまだ18時過ぎ。もう1つどこか寄り道ができなくもない時間帯である。と、2ヶ月前に福井県敦賀に行ったとき、ソースカツ丼が有名な「ヨーロッパ軒」でエビフライというメニューが気になったことをふと思い出した。

閉店時間というネックがあるが、調べてみれば敦賀ではなく福井市内のヨーロッパ軒本店でテイクアウトすれば、今からでもギリギリ間に合うっぽい。すぐにヨーロッパ軒の本店に電話をかけ注文を済ませて閉店間際に取りに行くことを伝え、この旅のファイナルミッションが始まった。

とりあえず40分ほど空きができたので、北陸のソウルフード8番らーめん」で夕食とする。このあとエビフライ食べるのに。
 

金沢→福井

さて、実はどこでもきっぷで使える6枠の指定席券を、まだここでも使いきれずにいた。どっちみち京都までの「サンダーバード」で使うつもりではいたが、それでも余る。つまり逆にいえば、福井までの特急で指定席券を使わないと、権利を放棄することになってしまう。

というわけで、ややもったいない気もしたが、福井までの「しらさぎ」で指定席を発動。確か端っこの席にコンセントがあるはずだ、と思いわざと端っこの席を予約したのだが、

そんなものはなかった。

気を取り直して福井駅。実はこの時点で閉店時間15分前なのだが、福井駅から予約をしているヨーロッパ軒本店は歩いて10分ほどかかる。ちょっと、というかだいぶギリギリなので、道の迷いや間違いが許されない。一気に緊迫する展開になってきた。

ヨーロッパ軒本店にたどり着くと、なんと電気が消えている。間に合わなかったか!?と思ったが、予約している旨を告げたら無事エビフライが出てきた。閉店時間5分前だった。

ミッションが完了したところで次のサンダーバードまではまだ時間があるので、適当に恐竜を眺めて過ごす。

この恐竜、SEで鳴き声がひっきりなしに流れていてなかなかの迫力なのだが、そんなことお構いなしに恐竜前で待ち合わせしてどこかへ去っていく若者集団がいて、福井市民の間でこの恐竜が溶け込み過ぎだろうとびっくりしてしまった。
 

福井→京都

というわけで、最後にサンダーバードの指定席を予約して、ホームに上がる。

長かったどこでもきっぷの旅も、このサンダーバードが最終ランナーとなる。

さっそくヨーロッパ軒でテイクアウトしたエビフライを食す。ちなみにどうも+150円払えばあの山盛りのご飯がついてくる(=丼になる)ようだったが、直前に8番らーめんを食べているのでそんな余裕はなし。でも金額的にはごはんつけてもらったほうが良かったなこれは。

気がつけば敦賀を越え、左手には暗闇に包まれた琵琶湖が広がっている。3日間、ありとあらゆる西日本各地を回り尽くした旅も、これにて終了。

京都駅でサンダーバードを降り、大団円となった。
 

まとめ

この3日間、まあありとあらゆる新幹線特急を乗り倒したのだが、遅れに遭遇することがほとんどなかった。2日目の夜、新大阪から京都まで乗った新快速のみで、しかもこれは遅れたところで大して行程に影響を及ぼさない移動だったので、この点はめちゃくちゃ奇跡だったなと思っている。

そして、今回の旅行は移動中のログを取りたいなあと思い、Googleマップのタイムラインという機能を使って記録を取ってみた。その結果が上の3枚のスクショである。

東は新潟県糸魚川、西は福岡県の博多まで、JR西日本のエリアを右往左往した総移動距離は約2000km。しかも新幹線や特急をふんだんに使って22000円は、ハッキリ言って破格もいいところ。我ながら、とんでもない旅行をしたなと思う。

たとえば博多はもっともっと滞在時間を取りたかったし、今回で言うと広島あたりは1日目の朝に新幹線で素通りしただけで終わっているので、この3日間をフルに活用してもまだ行けなかった街がたくさんある。そういえば鳥取北近畿、和歌山あたりにも足を踏み入れることはなかった。

この「どこでもきっぷ」は、おそらくコロナ禍による旅行客の減少を受けてその需要を回復すべく打たれた一手なのだと思う。あれから10ヶ月、史上最多の感染者数と騒がれながらも世間は少しずつでも日常を取り戻す方向に、2022年の夏休みは人の流れが活発になりつつある。

これから先、こんな破格すぎるきっぷをJRは出してくれるのだろうか。出るのならば、絶対にまた使いたい。