夏、祇園祭の季節。居間のテレビで流れていた神宮球場でのヤクルト×阪神戦。
阪神の江越が、2球続けてストライクが来た後の3球目、明らかなボール球に手を出して空振り三振する。
「今の、どう考えても1球外してくるのにそこ振るか?」
「江越はいっつもそうや!」
大の阪神ファンの父との何気ないやり取り。このやりとりの後、僕は居間を後にして自分の部屋に戻った。
このときは、まさかこの会話が「人生最後の家での父とのやりとり」になるなんて、まったく思ってもいなかった。

以前の記事の画像を使いまわしてます。
翌日、父は入院した。
心配かけちゃいけないから、ごくごく近しい知人にしかこの事実を知らせていなかった。
実はこの10年、父は大腸ガンとともに生きていた。
初めて見つかったのは僕が高2のとき。事実を告げられて呆然とした思春期の僕に、父は「絶対に帰ってくるんやから」と力強く宣言した。そして無事患部を切除して、父は宣言通りに帰ってきた。僕は少し安心して、大学進学とともに実家を離れることとなる。
しかし手術から5年後の検診で、再発が確認された。
毎週温熱療法に出かけ、2,3日ほど入院する日々。「明日からお父さん病院だっけ?」と日曜日に確認するのは恒例行事になっていた。治療を受けるとしばらく物が食べられないから、と治療前によくステーキを焼いて食べていた。
父の大腸ガンはどういう訳か担当の先生が驚くほど進行が非常に遅く、勝手に僕をフォローしていた父のTwitterのプロフィールには「余命宣告は見事にハズレ!」と書き込んでいた。オレは60で死ぬんや、とよく言っていたが、本音は「東京オリンピックを観たいんや」ということも、知っていた。
ところが今年に入ってから入退院を繰り返し、「江越はいっつもそうや!」のやり取りがあった翌日からの入院では、いよいよ病状が悪化して「春までは持たない」と宣告されていた。僕も覚悟を決めてこの数か月を過ごしていた。ハッキリ言って、この数か月は僕にとって地獄だった。
自分の父親が「春までは持たない」、それまでにいつ死ぬかわからない。
次この人に会うときは、次ここに来るときは父はもう死んでるんだろうなあ、とか良く思った。野球を観てても、来年の開幕に父は生きてないんだろうなあと思うととてもつまらなかった。毎日夜ベッドに入ると父の今後、死後の生活をぐるんぐるん思い描き、路頭に迷って眠れない日々。
しかしどこかで「春までは大丈夫」だと思っていた節があった。2月の予定とかはもしかしたら・・・と思うことはあっても、来週再来週はまあ大丈夫かー、と思っていた。実際、涼しくなるころに何度か一時帰宅する計画もあった。家に父の作りかけのプラモデルがあったのだ。
でも、現実は甘くなかった。
昨日、仕事へ向かうべく京都駅でバスを待っていると、突然父の病状が悪化したと連絡が来た。鎮痛剤を入れるので意識がなくなるだろうと。
予想外にもほどがあった。
仕事は一応キャンセルを入れて、踵を返して来た道を戻りタクシーを飛ばして病院に駆けつけると、父は明らかに死期が迫っていた様子だった。
父のガンが再発してからというもの、たとえば有名人が会見を開いてガンを公表するニュースがやたら目に付いた。中には明らかに痩せこけた表情で会見する有名人もいた訳で、僕はその写真を見る度にいつか親父もこうなるのだととても不安に思った。
だが、目前の父は痩せこけたどころか、口をぽかんと開けて明らかに息苦しそうにしている。これでも息子である僕が来たことでどうも多少気持ちが和らいだらしいのだが、最後に言っておくことはないか?と問うと、最後の力を振り絞るかのように父は言った。
「やりたいことをやって生きろ。用事があるならもう行ってもいい」
おれ今週忙しいねんなー、火曜は大阪で仕事やし木曜は朝から子どもらとバーベキューやし夜は中学生相手せなアカンし、と父に今週の予定を伝えた。父は遠のく意識の中で頷いていた。
これが、僕ら父子の「最期の会話」だった。

その30時間後、父の身体に取り付けられていた心電図が赤く「0」を示す。
お父さん!お父さん!と叫ぶ母、父の下の名前を叫ぶ伯父や従姉。僕は思わずその場に崩れ落ちた。誰かが自分の背中をさすり、そして知らないうちに誰かに抱えあげられていた。
父が死んだ。59年の生涯を閉じた。
この事実を認識してるような、してないような自分がいる。でもなんかとりあえず書き残しておきたくて、TwitterやFacebook、はてなブログにとりとめのない文章を投下しているのだが、何度もその文章を読み返すと、ああお父さん死んじゃったんだなあと思う。
明日明後日と葬式がはじまる。帰り際、親戚にはゆっくり休みなさいと言われた。でもなんだか眠れなくて、今こうしてブログを書いている。眠いんだけど、なんだか眠る気にはなれない。もう何十時間こんな状態なんだろう。
父が亡くなった病院から葬儀場までの移動中、雨が降っていた。母が「今日雨やっけ?」と訝しげに僕に聞く。きっと、っていうか間違いなくこれは涙雨なのだろうと思う。そして今この時間も降り続く涙雨。
しばらく、ご心配ご迷惑をおかけすること、そして心配の声になかなかレスポンスができないことを、どうかご容赦ください。