SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

待っていたんだ、その戦う姿を。―サブロー引退に寄せて

昨日の夕方、衝撃的でもあり、その一方でほぼ予測がついていたニュースが流れて来た。

サブロー、引退。

僕が千葉ロッテマリーンズを応援し始めて、この秋でちょうど11年が経つ。

この秋で11年、という年月でピンと来た人も多いとは思うが、2005年のプレーオフ*1、テレ東だったかのアナウンサーが「このシリーズを制せばロッテは31年ぶりの優勝です!」と絶叫しているのを聞いて、ああこりゃ応援してあげなきゃな、と思ったのがそもそものきっかけだった。

あのころのロッテは、ボビー・バレンタインの方針で毎試合相手投手の相性に合わせた打線を組むことが話題だった。だから昨日1番を打っていた西岡がいきなり9番に回ったり、ベニーやフランコ、里崎、今江あたりは毎試合打順が違ったのだが、福浦とこのサブローだけは3・4番でほぼ固定されていた。

渡辺俊介のサブマリン投法、内角低めの落ちるボールを必ず空振りするフランコ、西岡や今江と言った20歳そこそこの選手の大活躍、いろいろ目を引くものがあったが、長髪をなびかせ、すらりと長い足で大きく構える背番号3の姿が、何よりもカッコよかった。

翌年、僕は球場に通いだすと同時に、ますます背番号3を追い続けることになる。

初めて買った選手グッズは、背番号3のリストバンドだった。

最初は背番号のないビジターユニフォームを着て試合を見ていたけど、それもいつの間にか背番号3のTシャツになった。

僕にとって「サブロー」という選手は、青春そのものだった。
 

それだけに、2011年は青天の霹靂だった。

「サブローが、(遠征先の)横須賀にいないぞ」

はっきり覚えている。スーパーの飲み物売り場でその一報を聞いたときは、どうせ前日まで遠征に帯同して先に浦和(2軍本拠地)に戻ったんだろ、とそんなに気にしていなかった。そもそもこの年サブローは選手会長だったので、放出なんてありえないと思っていた。

しかし家に帰ってパソコンを開いた瞬間、僕は言葉を失った。

サブロー選手が、ジャイアンツへ、・・・トレード?????

えっ、巨人に行くの????????

この年のサブローはまったく調子が悪い訳ではなかった。ところが交流戦だったかに指にデッドボールを受けて、治療のために抹消されて以降、どういう訳かなかなか上がってこなかったのは事実だった。それは、サブローの奥さんがブログで「主人はもう大丈夫なんです」と呼びかけるほど、異常なことだった。

その結果、こんな残酷な仕打ちが僕らを待ち受けていた。

あれだけ応援していた「サブロー」は「大村三郎」と本名になり*2、背番号も0番に変わった。

巨人へ移籍した最初の打席、中日の絶対的エース吉見から東京ドームのレフトスタンドに突き刺さる見事な勝ち越しホームランを打った背番号0の「OHMURA」を見た瞬間、もうロッテのサブローは二度と観られないんだ、と哀しい気持ちになった。

坂本、ラミレス、小笠原、長野、阿部慎之助・・・巨人の名だたる選手と喜ぶ姿、そして何より原監督とあのグータッチを交わす彼の姿は、どこか遠い存在になったことを意味していた。

でも、その巨人で活躍する「大村三郎」を憎むことは、僕にはできなかった。

その年のクライマックスシリーズ神宮球場で敗退濃厚になった中打ったホームランも見て、こりゃあ来季も巨人で代打の切り札として活躍するんだろうなあ、と思っていた矢先の、「サブロー、ロッテ復帰」だった。これもまた、青天の霹靂だった。

何事もなかったかのように、サブローがロッテの背番号3をつけて、レフトの守備位置にいる。

次の春、奇しくもサブローの故郷・岡山のマスカットスタジアムで広がっていた光景を目の当たりにした僕は、それだけで感無量だった。サブローが、あのサブローが、「巨人の背番号0の大村三郎」ではなく「ロッテの背番号3のサブロー」として、帰ってきたのだ。

サブロー さあ立ち上がれ今こそ 愛するチームのため 待っていたんだ、その戦う姿を 輝けサブロー

たった半年、江戸川の向こう側のチームに行って戻ってきたサブローに、新しい応援歌が用意されていた。

待っていたんだ、その戦う姿を。

大舞台であればあるほど、その戦う姿が頼もしかった。

2007年のクライマックスシリーズ、千葉にホークスを迎えた負けたら終わりの最終戦、今や味方として戦うスタンリッジからもらった満塁のチャンスできっちり決めた右中間へのタイムリスリーベース。三塁に滑り込んだ後のガッツポーズは、何度もマリーンズミュージアムで観て、胸が熱くなった。

2010年の日本シリーズ第6戦、1点ビハインドの8回に中日の浅尾のフォークをうまくとらえたセンターへの同点タイムリー。これは、6年経った今でも動画を見ると鳥肌が立つ。これがなければ引き分けも、翌日の日本一も確実になかったと思う。

もちろんいいところの凡退も多々あった。「誰も期待はしてないけれど」「働けサブロー」などと替え歌で揶揄されることもあった。だけど、なんだかんだでこの人は大舞台に強い選手なのだろうと思う。こういう打者は6番あたりにいたら心強いのだろうけど、やっぱり「4番・ライト」が似合う気もする。

数年前の神戸で、サブローのTシャツを着る僕。久々にこの写真を思い出して、Twitterのアイコンにしてみた。

昨年から引退の2文字が囁かれて、今年は今のところ1軍昇格なしと言う現状だから、正直覚悟はしていた。だけど、僕の青春のヒーローが引退してしまうのは、やっぱり寂しい。「4番、ライト、サブロォォォォォ↑↑」の場内アナウンスが聞けなくなるのも、何もかもめちゃくちゃ寂しい。

ありがとう、サブロー。

これまでもこれからも、僕の永遠のヒーローであることはまちがいない。

*1:クライマックスシリーズ

*2:巨人は「サブロー」のような登録名を基本認めていない