SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

阪神からロッテに鞍替えした10年前の秋を、ふと思い出す。

今週のお題「10年」

10年前の秋はたぶん生涯忘れられない秋だろう。

近鉄がなくなり、新たに仙台に楽天イーグルスが誕生したこの年のパリーグは、千葉ロッテマリーンズ福岡ソフトバンクホークスがリーグ優勝*1を賭けて福岡でプレーオフを争っていた。たしかテレビ東京系列での放送だったのだが、何気なく見ていた中継でそのときの実況が叫ぶ。
 
「さあ、千葉ロッテマリーンズ、このプレーオフを制すと31年ぶりの優勝となります!」
 
・・・これまで、ぼくはずっと阪神タイガースを応援していた。そしてこの年の阪神は恐ろしく強かった。

赤星が出塁し鳥谷が繋ぐと、待ち構えるのはシーツ・金本・今岡の強力すぎる中軸。特に得点圏にランナーがいたときの今岡ほど頼れるバッターはいなかった。6回までで勝っていれば、ウィリアムス・藤川・久保田の「JFK」が試合を締めた。この年の阪神優勝は、関西はもちろん阪神ファンの我が家にも明るい話題を提供してくれた。

という訳で、必然的に日本シリーズ阪神を応援するはずだった。そこで前述の実況のひと声である。

31年ぶりという時間の長さが想像もつかなかった。かたやホークスは2年前に優勝し、奇しくも阪神日本シリーズを戦っている。こりゃあ、31年ぶりの大チャンスを応援してあげないといけないんじゃないか。

これが、ぼくと千葉ロッテマリーンズとの出会いである。

それから毎日プレーオフを観た。フランコと言う選手の応援歌のかっこよさにベタ惚れした。同時に、フランコが内角の落ちる球に思いっきり三振する姿を何度も観た。またそこ振るんかい!と思った。

そして運命のプレーオフ終戦、里崎の魂の逆転タイムリーに雄叫びを上げ、最後のレフトフライを井上純が捕球して優勝が決まった瞬間、阪神なんてまったく眼中になかった。日本シリーズの相手はまさに1年間応援していた阪神だったが、もうロッテを応援する気でいた。

父は阪神、息子はロッテ、と初めて親子で応援するチームが分かれたその年の日本シリーズ。ロッテは、4試合合計33-4と圧倒的なスコアで阪神をボコボコにした。そこから、ますます千葉ロッテマリーンズと言うチームを追いかけたくなった。

ただ単に、阪神が嫌いになった訳ではなく、阪神以上にロッテを好きになってしまっていた。

翌年からぼくは球場に通いだした。通ううちに顔見知りのロッテファン仲間ができた。最初は関西、それも京セラドーム大阪のオリックス戦だけだったけど、今や千葉はもちろん福岡、名古屋、東京、といろんな都市でロッテ戦を観るようになった。いつしかどこの都市でも一緒に観戦するファン仲間がいるようになった。

あの日、あのとき、里崎が魂の逆転タイムリーを打っていなければ、ぼくは今頃間違いなく千葉ロッテマリーンズと言うチームの勢いや応援をただ畏怖の目でしか見られなかっただろう。いまいるたくさんのファン仲間も、赤の他人か猛烈に毛嫌いしてた可能性だってある。そう考えると、人生と言うのは不思議なものだ。


ちなみにこの日の一面は星野仙一阪神シニアディレクター退任(後に楽天の監督に就任)、だった・・・。

2010年、ロッテはまたしても日本一になった。しかもぎりぎりシーズン3位に終わったのに、あれよあれよとクライマックスシリーズを勝ち抜き、中日との死闘を繰り広げての日本一。嬉しかった。

そして今年は2015年。実は21世紀になってから、5で割り切れる年数に日本一になったのはロッテだけ。つまり、「2度あることは3度ある」で考えると、今年はロッテが日本一の当たり年になるはずなのだ。

千葉ロッテマリーンズを応援し始めて10年目のシーズン。ライバルチームは大補強したけど、デスパイネも残留し、優勝できる戦力はあるはず。5年に1度のゴールデンイヤーだ、絶対にチャンピオンフラッグをつかもうぜ!!

*1:当時はプレーオフに勝ったチームがシーズン2位でも3位でも「リーグ優勝」だった