SH Diary.

旅行記、ときどき野球。

2023夏・東北社会見学ツアー【その4:はじめての岩手、陸前高田へ】

その3はこちら↓

その1でも書いたが、今回は仙台を拠点として、東北の各地をまわってみるという(あってないような)旅程を組んでいる。初日は山形をめぐり、夕方には松島、そして夜は仙台、と休憩をはさみながらいろいろと巡ってみた。

そして2日目。仙台まで来たからにはもう一足伸ばして行きたい場所があった。

しかしこの場所、まず仙台からまだ2時間以上の移動が必要であり、しかも移動手段も限られている。1日目、京都からのバスが仙台駅に着く15分前にそこへ向かうバスが出発してしまい、その後数時間バスがないという絶妙なダイヤ設定になっており、必然的に行くなら2日目しかない。

その2日目も、少し早起きに失敗したらその瞬間に旅程が完全に崩壊する。このほかにもいろいろあって(後述)、ここ最近の旅行の中ではトップクラスでギャンブル性の高い旅程だったのだが、ここはやはり「行きたい」という気持ちが完全に勝り、実行することとなった。

ところが山寺を登山し、炎天下の山形市内を歩き、松島で海風に吹かれた後仙台市内をくまなく歩き、最後は仙台城跡までやはり山を登りそこそこ疲労が溜まっている。ちょっとこれは朝起きられないかもしれないな・・・と不安になりつつも、日付が変わるころに就寝した。

・・・迎えた2日目、朝。

奇跡的に早起きに成功した。せっかく東北に来たから、と佐々木朗希完全試合記念Tシャツに身を包み早々とホテルをチェックアウトすると、フロントのお兄さんに「佐々木朗希ですか?」と声をかけられる。少し立ち話をして、ついでにこれから行く先の情報もいろいろと教えていただいた。

ホテルは素泊まりだったので朝食を確保する必要がある。セブンイレブンで店舗限定でやっているスムージーをテイクアウトしようとしたら、ことごとく取り扱いのない店舗に立ち寄ってしまい、結局確保できずにちょうど24時間前に降り立った仙台駅のバスセンターへ向かう。

着くと2台の高速バスが停まっていた。片方は盛岡行き、もう片方は福島行きと真逆の行き先。そしてまったく同時に出発していった。昨日の山形もそうだが、東北地方は仙台を中心に各都市を高速バスがきめ細やかに結んでいるので、非常に便利な印象を受ける。

そんな中、買ったバスのチケットの行き先は。
 

仙台駅前→陸前高田

岩手県陸前高田

仙台から向かうとなれば、釜石行きの高速バスに乗って途中下車することになる。釜石行きは1日2本あるが、今から乗る7時20分の次が夕方の16時までないため、何が何でもこの朝の便に乗らねばならない。しかも予約不要なので満席で乗れない可能性もあり、なかなかギャンブル性が高い。

とはいえ、月曜の朝なので満席になることはないだろうとは思っていたのだが、バスセンターに着くと長蛇の列ができていて一瞬「あ、これは終わったか」とうなだれた。しかしその列はみんな成田空港行きのバスに消えていき、またバス停は静寂を取り戻す。思わずホッとした。

自分が乗る釜石行きのあとにも、弘前・青森・秋田・盛岡とまだまだ各方面へのバスがひっきりなしに発着する。とてもワクワクする案内である。

結局、釜石行きに乗ったのは10人少し。かなり空席がある中でバスは仙台を離れていく。

陸前高田はご存知のように、東日本大震災の大津波に市街地がまるごと飲み込まれてしまった街である。高校で地理の授業をやっているとこの災害、そして陸前高田周辺の三陸海岸におけるリアス海岸は絶対に出てくるので、授業をやる上でいつか行きたいと思っていた場所だった。

バスは石巻を通過する。陸前高田に行けなかったら石巻へ行こうかとも思っていたが、今回は泣く泣くスルー。

途中、三滝堂という道の駅で休憩する。実はバスに乗って30分もしない内に猛烈に尿意が襲ってきて、ここで止まらなければかなり危ういところだった。ついでになにか買うかなと思ったがまだ朝8時半でコンビニしか営業しておらず、結局そのままバスに戻る。

気仙沼で乗客の半分が降りていき、バスはいよいよ岩手県へ。初めて岩手県に足を踏み入れた。

陸前高田駅で降りたのは自分ともう1人だけ。片手で数えられる人数の客を乗せ、この先大船渡や釜石など三陸地方の主要都市へバスは走り去っていった。しかしやけに街が静かだなあと思ったら、その横の陸前高田市立博物館は休館日だった。月曜日だから仕方がない。

そして、やはり道路や建物の真新しさが目に留まる。とりあえず来た道を数百m戻り、セブンイレブンでお茶を買って、少し大回りをしつつ奇跡の一本松を目指す。

荒涼としたこの空き地は、おそらくこの10年ほどあまり手を付けられていないのだろう。

15分ほど歩いたところに道の駅高田松原がある。この周辺にはかつて何十万本と植えられた松原があったのだが、これが1本を残してすべて津波によって流されてしまった。で、「1本」というのが、

いわゆる「奇跡の一本松」と言われる震災遺構として保存されている。これが見たかった。

奇跡の一本松の後ろには崩落した建物が今も残されている。これはもともと陸前高田ユースホステルだった建物で、この建物が奇跡の一本松への津波直撃から守ったという見方がなされている。ちなみに震災当時は休館しており、無人だったためこの建物の人的被害はなかった。

両サイドに陸地があり、その間が外洋へとつながっているという、複雑に入り組んだリアス海岸らしい水平線。あの向こうから巨大な津波が襲ってきたとは、まったく穏やかな三陸海岸を眺めていると何一つ想像することができない。

しかし今日もいい天気である。

海岸を後にして、道の駅高田松原に併設されている「東日本大震災津波伝承館」を見学する。受付があったので券売機を探したが、なんと無料で入館できるとのことだった。しかも一部撮影可の展示資料もあり、授業にも使用できそうな資料は写真に収めた。

津波に襲われる街並みを目の当たりにして、何も出ずにただただぼーっとその光景を眺めるしかないたくさんの市民の様子の写真が複数あり、もしも自分がこの光景に遭遇したら・・・と写真パネルの前で深く考え込んだりもした。改めて、仙台からがんばって陸前高田まで足を伸ばしてよかった。

ここは道の駅でもあるので、ここぞとばかりに土産を大量購入する。と、小腹がすいてきたので、この後移動して昼食の予定にしていたが時間に余裕もあるので併設の食堂で先に食事することにした。

フードコートの海鮮丼の店で、メニューを見て絶対これだ!と3種類の丼のセットを注文する。マグロ丼、サーモンのユッケ丼の真ん中に、いくら・カキ・めかぶの「たかた丼」のセット。ちなみにお米は「たかたのゆめ」という、陸前高田のブランド米。いや、まずいはずがない。

東北に来てからずっと肉系の食事が続いていたので、ここでようやく海鮮をいただくことができたのも嬉しかった。

あとで戻ってくることになるがいったん道の駅高田松原をあとにして陸前高田駅方面へ向かう。このあたりの国道45号も震災後きれいに整備されている。

ところどころに設置されている「津波浸水区間」の看板。前方後方の範囲も広い。

道の駅高田松原の旧施設が残っていた。何気に写真を撮ったが、よく見れば2階フロアよりも高い位置に津波がここまでやってきたというプレートが設置されている。

その近くにあるのが「楽天イーグルス奇跡の一本松球場」。毎年楽天の2軍がここで試合をしているのだが、実はここに来た2日前にロッテ2軍とのゲームが組まれていた。もちろんその情報は知っていたのだが、タイミングが合わなかったのがとても残念。

津波で被災し、内陸へ移転した陸前高田市役所も見えた。

陸前高田駅の隣に、「まちの縁側」という施設がある。

ここの2階に展望台があったので最後にここから陸前高田の風景を眺める。手前にはやはり震災遺構の会社の建物がある。その奥に農地や空き地が広がり、ずっと向こうに道の駅高田松原。そしてただただ、夏空が青い。

約2時間と短い滞在にはなったが、今後の地理の授業はもちろん、あらためて震災で大きな被害を受けた場所に立ち、様々なことを思い考えながらこの街を歩くという経験は何物にも代えがたい貴重な経験となった。また必ず、この陸前高田には足を運びたい。

その5はこちら↓